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ハイペリオン (HMS Hyperion, H97) はイギリス海軍の駆逐艦。H級。ハイペリオンの艦名はギリシャ神話のヒュペリオンに因む。 == 艦歴 == 1934年12月13日に発注され、ウォールセンド・オン・タインのスワン・ハンター&ウィガム・リチャードソン社で1935年3月27日に起工。1936年4月8日に進水し、1936年12月3日に竣工した。兵装などの政府が供給するものを除いた建造費用は25万1466ポンドであった〔English, pp. 102–03〕。就役後地中海艦隊の第2駆逐群に配属。スペイン内戦中、ハイペリオンは不干渉委員会の施策を実施するためスペイン海域を巡回した。1937年9月30日から10月30日までマルタでオーバーホールを実施し、それらかまた内戦終結までスペイン海域の巡回を続けた。ハイペリオンは修理のため1939年8月にポーツマス海軍基地に送られ、修理は8月16日から27日になされた〔English, p. 113〕。 9月3日に第二次世界大戦が始まったとき、ハイペリオンはドイツ通商破壊艦捜索のためシエラレオネのフリータウンへ向かっている途中であった。10月末、ハイペリオンは北アメリカ・西インド艦隊に転属となりそこでアメリカやメキシコの港にいたドイツ商船の封じ込めにあたった。12月19日、ハッテラス岬沖でドイツの客船Columbusを発見、Columbusは拿捕される前に自沈した〔。1940年1月中旬にはブリテン諸島に移り、1月25日から3月6日までポーツマスで修理が行われた。ハイペリオンはスカパ・フローで本国艦隊の第2駆逐群に戻った〔。 4月5日、ウィルフレッド作戦(ナルヴィクからドイツへのスウェーデン産鉄鉱石の輸送妨害を目的とした機雷敷設)実施準備にあたる機雷敷設艦を支援する巡洋戦艦レナウンを護衛、4月8日、ハイペリオンと駆逐艦ヒーローの2隻はノルウェーのBud沖に機雷原をつくっているよう見せ掛け、その位置はノルウェー側にも伝えられた〔Haar 2009, pp. 65–66, 88–89〕。4月21日からノルウェーのドイツ目標を攻撃する空母グローリアスとアーク・ロイヤルを護衛。4月27日にグローリアスが給油のためスカパ・フローに戻ったが、ハイペリオンはアーク・ロイヤルとともに残った〔Haarr 2010, pp. 143, 150〕。5月初旬、ドイツの艦船を求めて行われたが成果は無く終わった北海への出撃の際、軽巡洋艦バーミンガムを護衛〔Rohwer, p. 23〕。 5月8日から12日にかけハイペリオンはHook of Hollandからイギリスの人員を脱出させ、5月16日にマルタの地中海艦隊増援に向かうよう命じられた〔。7月9日、カラブリア沖海戦に参加。7月19日のスパダ岬沖海戦では軽巡洋艦シドニーを護衛し、またほかの駆逐艦とともにイタリアの軽巡洋艦バルトロメオ・コレオーニの生存者を救助した。9月25日、ハイペリオンは駆逐艦ヘレワードやほか2隻の駆逐艦とともにシディ・バラニ周辺のイタリア軍陣地を砲撃した。11月、タラント空襲を行う空母イラストリアスを護衛〔Rohwer, pp. 32–33, 41, 47〕、12月14日、ハイペリオンとヘレワードの2隻はバルディア付近でイタリアの潜水艦ナイアーデを撃沈している〔。 だが1940年12月22日、マルタへの船団護衛の際戦艦マレーヤを護衛してアレクサンドリアからジブラルタルへ向かう途中にパンテッレリーア島沖で触雷した。駆逐艦アイレクスが曳航を試みたが曳航索が2度にわたって切れ、アイレクスによる乗員の収容後駆逐艦ジェイナスがハイペリオンを沈めるよう命じられた。ハイペオンの乗員2名が救助されず、爆発により死亡したものと推定された〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハイペリオン (駆逐艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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